- 孤独の恐怖
現代の日本で議論されている「孤独」とは、便利な世界で娯楽はいくらでもあり、おいしいものは食べられ、治安は維持されている中での孤独。
一定の経済力を前提にすれば、病気になったら病院に行けるし、気晴らしに友達と飲みたければおしゃれなレストランや居酒屋で飲めるし、トレーニングしたければジムに行ける。そうした環境の中で単に友達がいない、話しかける人がいないというレベルでの孤独。
違うレベルの孤独がこの映画で描かれている。
世界中に自分しか存在しないと分かった時、本当にそれ以上生きたいと思うだろうか。
文明も破壊され、便利さとはかけ離れた世界になった時、長生きすることの楽しみは何になるのだろうか。
仮に地球上に1,000万人ほど人類が存在するとしても、破壊された文明に残された人々は、従前の便利な世界を味わう事はおそらく不可能だろう。
長生きすることの大きな楽しみの一つは、好奇心の満足と考えている。テクノロジーの発達によりどこまで便利で快適な世界が実現されるのかという、この世の行き着く末を見てみたい「好奇心」だ。
とすると文明が破壊された状態で、おそらく自分が享受していた快適さには生きてるうちに到達しないと分かった時、長生きすることを希望するだろうか。それとも、その状態でもなお生きることにしがみつくだろうか。
生きることの意味はどこにあるのだろうか。人類全体として生きる意味といった大それたことを問うているのではなく、自分自身にとって生きる意味はどういうところにあるのかより考えてみる必要がある。
- ウイルスの恐怖
おそらく空気感染によりゾンビ化する疫病が描かれていた。ここまで恐ろしいものではないが、コロナウィルスが蔓延している現在の世界の姿は、ある意味この映画で描かれている世界と似ているかもしれない。
どこが似ているのか。
過去に快適な世界を、そして快適と認識することもなく無為に過ごし、その後突然訪れた快適さとは程遠い世界で不便であることを嘆いている。そういった意味で似ている。
- 権力
世界が崩壊する前に、主人公は軍人としての権力を生かし、検問を突破する際の検査において、自分の妻の検査を2度行うことを強行した。他の人間は1度だけであり、いちど検査不合格になれば問答無用で隔離される。
権力があることで生きるか死ぬかの分水嶺となる場合がある。この点は現代の社会も極めて似ている。
【抽象化】
- 生きることの意味は、「好奇心」か。好奇心とは何に対する好奇心か。
- 現時点での幸福を、五感をフル活用して認識すること。
- 権力・社会的地位の向上は、可能な限り追求すること。どこかで生死を分けるほどのインパクトを持つかもしれない。