約500分を費やして得たもの。
質は異なるが、コミニュケーション不足による行き違いが激しいと言う意味で、三浦綾子の「氷点」を思い出した。
男女間で相手をおもんぱかってるあまり、あるいは、相手に嫌われたくないと言う一心で、自分の気持ちを伝えなかったり相手の気持ちを勝手に解釈したりして誤解を生んだまま行動することで破滅的な結論になる場合がある。
このドラマでは単に気持ちのすれ違いだ生じる程度で、これはコミカルな場面に限定されていたのだが、破滅的な結論にまで至ったのは「氷点」の例。
問題点は、コミニュケーション能力不足とも言えるし、自分の思っていることや相手の思っていることを正確に把握しようとする能力や技術の未熟さ。
原因は、「嫌われたくない」「嫉妬深いと思われたくない」「口うるさいと思われたくない」といった自意識過剰か。
話してみれば些細な事と判断される場面が多く、悩んでいる時間や勝手に解釈していたことによる気持ちのすれ違いの方がよほど痛手となる。
さすがにこれは恋愛ドラマなので誇張表現と思われるが、一緒に寝ていて何もしないのは信じがたい光景。しかしこうしたドラマが多くの人間に見られることによって、フィクションが現実の世界でも一定の影響力をすることがあるだろう。
総じて出てくる人間は良い人がほとんど。
ドラマと現実の相違は以下の点。
ドラマでは視聴者が、それぞれの登場人物の心理を全て把握できるため、各登場人物に公平な観点から感情移入することができる。
現実では、自分自身の心以外誰が何を考えているのか、はっきりって完全にわからないと言う不明確な状態が通常だ。
不明確であるがゆえに疑心暗鬼となり、相手がどう思うかについて勝手にこちらで解釈し、主観的に「自分は馬鹿にされている」といった自尊心の低さが前面に出ると、あらゆる出来事を悲観的に考えてしまう傾向がある。
主観に影響される程度はおそらく本人が認識している以上に強いだろう。この点を認識していると思っている自分ですら、主観的な感情によっていかに客観的な判断が阻害されているか、完全には理解していないのかもしれない。
こうしたメタ認知の能力を、もう少し鍛える必要がありそうだ。
日本のドラマに全く興味がなかったので、20年ぶり位に見たが、役者の演技もそれほど違和感なく楽しめた。
また以前は単に娯楽としてのみ見ていたが、出てくる事象を題材に種々思考実験をすることが可能だ。
また、一服の清涼剤としても楽しめたので、これからは時々意図的に見ることにする。
「幸せとは、人間が自分自身でどう感じるか決めるもの。」
もしこの定義が正しいとすれば、バーチャルリアリティの世界で、かつ、本人がVRであることを認識しない前提であれば、VRの世界での幸せを満喫することがその人にとっての幸せとなるだろう。
第三者がそうしたVRでの幸福をいかに悲惨なものと捉えようと、本人はその第三者の評価すら全く気にならず、と言うよりも本人の生きている世界はVRであり、本人はVRであることを認識していないのだから。
「瞳を閉じれば世界が消える」というカントの言葉の通り。
テクノロジーやAiの能力が上がり、人間はコンピューターに処理される側に回る。こういった社会を恐ろしいと感じる風潮は現在強まってきている。
しかしこうしたテクノロジーの進化の前に、各人間はそれほど自由に考え、自由に行動できていたのか。
進化したAIに支持されてしまう人間が描写されているが、今までも自分より高い知能の人間に支持され、ほとんど自分の自由意志を奪われて生活していた人間も実は多いのではなかろうか。
つい最近までの日本のサラリーマン社会も、多くの場合に「出世競争「と言うゲームの中では、自分の上司や権力を持ったキーパーソンに実質的に逆らうことができないまま行動を余儀なくされてきたのではないか。
このように考えると、進化したAIによって支配されることをそれほど怖がる必要は無いのかもしれない。なぜなら、理不尽な上司や権力者よりも、数百倍知能が高いAIの出す指示の方が、合理性と言う観点からはより受け入れやすいとも言えるから。
【抽象化】
【抽象化・アクション】