記録の力 / The power of Recording

Taking notes, reviewing them to improve productivity is fun. Will see how I can improve myself by recording all sorts of things.

ディアボロス・悪魔の扉

 



1.

1997年の映画。当時大学を卒業し、司法試験の勉強をやっていた頃だ。

 

2.

「虚栄は罪。しかし人間は何度もこの過ちを繰り返す」というのがメッセージか。

 

3.

刑事弁護において自分の勝訴(虚栄)に拘り、有罪かもしれない被告人のために無罪主張をすることに良心の呵責を感じる。ここまでは普通。しかし当初は単純に「勝ちに拘る」だけだったものが、世間の注目を集め、金が入り、名誉も得、遊びや女にも事欠かなくなる。仕事は真面目にやるので多忙になる。

 

4.

多忙でなければ実力をつけることは難しいだろう。他方、多忙であるが故に家庭を省みる時間はない。そして、人間が社会的な存在である限り、よりよい仕事に従事するために、上司との人間関係を円滑にしておくことは重要だ。純粋に忙しすぎる上に、ボスとの付き合いも断りづらく、更に時間は少なくなっていく。家庭が壊れてしまうのもある意味「そりゃそうだろう」と思ってしまう。「よりよい仕事に従事する」ということ自体が虚栄心の発現とも思える。

 

5.

家庭を壊さないようにするためには仕事をセーブすればよい。ある意味簡単だが、実際に踏み切れるかどうかは考え方、価値観の違いに帰着するだろう。「家庭のために仕事をセーブすると、後で後悔しそうだ」という悩みは、程度の差こそあれ多くの人間が持っているのではないだろうか。仕事自体に楽しみ・遣り甲斐を見出している人間ならば尚更だ。

 

6.

何が正しいのかは分からない。正しい、正しくないは、その時の多数派か少数派かによって大概決まっている。1997年当時は5.のような考え方が多数派で、2014年の現在では徐々に古臭いものとなってきているか。

 

7.

この映画は、途中かなり大げさな描写が出てくるため「なんだこれは?!」と辟易する人がいるかもしれないが、17年ぶりにこの映画を見て感じたのは、4.や5.のような「日常にある一場面・一悩み」をデフォルメした映画だという点だ。

 

8.

20代や30代前半は「可能な限り猛烈に働く」といった過ごし方をする人が多いように思う。能力があり、野心家であればあるほど、周囲の期待も高いだろうし、その期待に応えようと奮闘する人が多いように思う。17年間で多少程度の差はあれど。これが虚栄のためなのか、自己実現のためなのか分からない。自己実現は言葉を美しくしただけで、所詮虚栄のためなのかもしれない。

 

9.

こうした若い時期こそ何を目的として生きていくか熟考すべきだが、そんな時間すらないという矛盾を抱え、重圧だけが増し、実際には重圧に流されているだけの日々を「充実した日々」であるかのように送る。重圧を言い訳として夜遊びをする。友人と話すとき「いや、忙しいんだよね、最近の案件は大型の買収が多くて。」なんて吹聴しあたかも充実しているかの如く振舞う。実態は周囲の環境に翻弄されている場面がほとんどで、実力不足と「本当にこのままで幸せか」と疑い続ける。

 

10.

25歳~35歳までの自分に言いたい。仕事の手は抜くな。仕事に本気になったら忙しくなるはずだ。しかし、忙しいから仕事している、というのは勘違いだ。重要な点にエネルギーを集中しているか。重要か否かの判断にエネルギーを集中しているか。言われるがままに仕事をこなせば時間は無限に必要だ。

 

11.

重要な点とは、仕事だけでなく、自分の人生にとって何が重要かも含む。大切な人を顧みず好きなように生きているのは我儘だ。虚栄、虚飾に塗れた人生はその場にいる本人としては興奮するが、客観的には虚しいし卑しく見えるだろう。

 

また、息抜きは大切だが、無駄な酒席に費やす時間と金ほど無意味な浪費はない。

 

映画とは全く無関係だけどふと考えたので一応記載しておこう。自分自身が犯した過ちとして。

 

【禁酒】

9月:5日