読書メモを2008年頃から徐々に始め、2011年以降は本格的に継続して来た。
やってきたことは大体以下の通り。
- 本の内容をまとめる訳ではない
- 感銘を受けた箇所、知らなかった概念、自分の人生に活かせそうな箇所をメモする
- 記載後メモを反復して読む
- 頭に入ったアイデアを自分の行動に落とし込む(知るではなく、体得レベル)
- 繰り返すことにより体得する
- 本を読む目的
10年前は闇雲に本を読んでいた。ときには知らないことを知るために、ときには娯楽のために。
今は主に考える材料を得るために読んでいる。得た世界観や概念について、自分なりに考えて思考を膨らませるための材料だ。
- ブログを始めるきっかけ
読書記録は上記の通り、「知らない概念をメモし、自分で体得する」方向で活用してきた。
やっていない時代と比べ、人格そのものが変わったと感じられるほど、自分に自信もついたし、考える筋道を立てやすくなったように思う。当然ながら知識も増えたと感じる。
こうした前提のもと、人様の役に立つかどうかは不明だが、本から得た自分なりのエッセンスをここに記載するのが1つの目的だ。
ところがふと気づいたのは、自信を持てたのはいいが、本で得た概念そのものの価値なり是非なりを深く考えることなく、感覚的に良いなと思った概念を取り入れて来たことに気づいた。
そこで本から得た概念について、改めて自分自身で考え、それを基盤として自身の思考を徐々に確立していこうと思う。これがブログを始める2つ目の目的。
また、何度も自分の読書メモを見直すうちに、多くの概念が重複・関連・影響し合っていることにも気づいた。これら類似の概念の関係性や意味をさらに考えることによって、自分の思考がより深く・広くなるのではないかと期待している。
- 「読書について」(ショーペンハウエル)
本を読んでいると、いわゆる「読書論」を多く目にするが、一番大きな影響を自分に与えたのはショーペンハウエルの「読書について」だ。
その感想も後日載せるが、「読書が受動的な行為に堕し、思考停止状態を作りかねない」と注意してくれている点は初めて読んだとき衝撃的だった。
これを読んだ後、思考停止にならないよう自分で考えながら読書するよう最大限努めていたが、果たしてどれほど自分の脳が回転していたのか正直明確には意識できていなかった。
- 情動シュミレーション(言葉の展開)
そんな中、数年前にあるブログで、「情動シミュレーション」という概念が紹介されていた。
これは登場人物になりきって、その人の痛み、心、風景、味わい、触り心地、風の動き、全てを感じ取るようシミュレーションしながら読むという行為だ。当該登場人物になりきることで、その人物が体験する世界をあたかも自分が体験しているかのように感じ取ることで、他者の人格、他者の視点を擬似的に体験することができると。
そして登場人物とは、主役だけでなく脇役・悪役・端役と出てくる人間すべてのことだ。読み手の価値観と同じ価値観の人物に感情移入するのではなく、自分の価値観と話相容れない登場人物についてもあたかもその人になりきることで、自己の価値観を破壊し、新たな価値観に触れて自己の精神の豊穣さを求める行為になると。
自分自身ここまでできているとは思えないが、仮にこのスキルが向上すれば、実世界での体験が時間的・物理的に制限されている中、あたかも(疑似的体験ではあるが)この制限を完全に破壊する位インパクトのある行為だと思う。
- 映画への応用
本だけでなく、何か作品を読んだり見たりした後に、そこから得られる知恵や教訓は多い。例えば映画が最たる例だ。娯楽の対象として、お酒を飲みながら映画を見ると言うのがパターンだったが、映画を見ていて自分が知らない世界観が出てきたり、自分が憧れるような生き方、処し方に接することがある。娯楽で見ているとその一瞬は感動するが、しばらくするときれいさっぱり忘れていたりする。
忘れると言う事は印象が薄いと言うことなので、記憶するに値しないとも言う。しかし、記憶力に自信のない私はこれもメモすることで多くの気づきを維持できていると思っている。
読書した時ほどは真面目にメモを取っていなかったが、この効用に鑑みて、今後は映画を見るたびに重要な気づきについてはメモしていこうと思う。
- 口頭記入
打ち込むよりも音声で入力する方が圧倒的に分量は増える。同時に口頭での説明がいかにリダンダントなものであるかと言う点にも気づかされる。
これを利用して普段の発言の正確性や簡潔性にも留意するようにしたい。
もちろんブログの中では、音声入力後一定程度修正を施している。
2020.5.8.
読書記録だけここに記載するつもりだったが、読書だけでなく、他にも様々なことを記録していくことにした。