- 人の本質は同じ。
「国民の本質は私と同じ。価値観も変わらない。」とヒトラーは発言する。
意味している事は、人は異なる種を嫌い、同種を好むということか。
ドイツや欧州で移民問題が現在大きな問題になっている。大量の移民を受け入れることによる経済的、社会インフラ的な問題も背景にあるだろう。しかし、本質的には異なる種が入ってくることで、自分たちの安定した生活や習慣を乱されることを嫌悪しているのではないか。
こうした懸念や心配はごくまっとうな心理として十分に納得できる。特に同質の人間しか周囲にいないとされた島国である日本で育った我々からすると、むしろこうした発想の方が通常のようにも思う。
- 同種とは何か
人種差別的な観点からすると、移民は異質であり自国民が通常と言うことになる。しかしこれは国レベルで捉えた場合のごく大まかな概念。例えば国ではなく、より小さな社会的集団である都道府県で見た場合どうだろう。現在東京都と大阪府がそれほど対立してるとは思わないが、明治維新前の薩摩と長州の争い。それ以前の戦国時代における戦国武将の争いなどを見ると、単に同じ国民だから「同種」、だから争いが生じないとは言えない。
より身近な例で言えば、会社の中でも派閥があり、部の中でも派閥があり、さらに小さな集団の中でも派閥があり、それぞれ敵だ仲間だと騒いでいるのが現実だ。
そこにあるのは人種的な差別ではなく、結局自分の考えを理解してくれる人間、自分の考えをサポートしてくれる人間を好むという、「身勝手さ」なのではなかろうか。
- 正解はない
異質なものを素直に受け入れ良いところを盗み改善していく。こうしたスタンスに立てばむしろ異質と触れ合うことの重要性が明確になる。
物事の良い面だけを捉えればこういう考え方にも一理あるように思う。他方、自分と異なる考えを正面からぶつけられ、相手の意見は全く聞かず自分の意見のみ視聴してくる人間がいると、「あいつは文化的背景が違うし全く異質な人間だ」と言う感覚になるのも理解できる。デリカシーのない人間にイラつくのは当然だ。
その意味で、どっちが正解というものでもない。
【抽象化】
- プレゼン上手に騙されない。
- 話している内容の是非を考える。
- 対立概念と比較する。
- 「仲間」とは自分にとって心地よい人間。