- 印象的な点
作品の主眼は何か。シーザーの横暴でも、ブルータスの悪性でもなく、、アントニーによる演説と、演説による大衆の煽動、思考欠如による危険性が印象的だ。
- 大衆による思考の停止
アントニーが演説し、大衆が「ブルータスは悪だ」という方向に流れる。アントニーの演説・煽動が上手というよりも、大衆があまりにナイーブか。簡単に多くの情報が取得できる現代においても、自分の見たい情報だけ見、聞きたい情報だけ受け入れるという人間心理は今もあまり変わっていないのかもしれない。
上記について考えてみる。
- 受領する情報を吟味しているか
マスメディアから発信される情報の単なる受け身になることを嫌悪して、ずいぶん前からテレビを見る事はなくなり、新聞も20年ほど前に購読を停止した。有象無象の情報が氾濫している中、「自分の興味があるもの、好奇心の赴くままに知らない世界の情報を取る」という耳に響きの良いスローガンのもと、結局は自分が知りたい情報にだけアクセスしているのが現状だ。
少なくても日々摂取するネット上のニュースに至っては、世界情勢や日本の出来事よりも、くだらない芸能ニュースばかり読んでいるのは時間の無駄になるだけではなく、脳の大敗を加速度的に推進する害悪以外の何者でもない
わかっていながら毎日のようにこうした情報のジャンクフードを食べ続けるのは、悪習慣が身に付いたが故。
- 自分は吟味しているか
日本人の平均的読書量は想像絶するほど低く、ネットで発見した調査によれば、社会人の平均読書数は年間で6冊程度。それに比べると自分の読書量は年間100冊前後なので多い方だとは思う。
しかし平均と比べて多いからと言う安直な考えが、上記のような無意味なネットニュースに時間を費やすと言う悪習慣の継続に結びついているのかもしれない。
読書の数だけでなく自分では様々なジャンルの本を好奇心の赴くまま咀嚼していたと考えていた。
種類としては、哲学、ビジネス、認識論、行動経済学、化学、宇宙論、量子力学、数学、物理学、生物学、歴史、小説も、経済小説、純文学、科学小説、推理小説、SF小説といった幅広いジャンルに接してきたつもり。
こうした幅広い読書は自分の知らない世界を、文字を通して垣間見ることができると言う意味で、大きく広げてくれるものてあり、この習慣は今後も続けていきたい。
- ネット内にあるジャンクな情報
こうした読書を実生活にどのように生かすかはまた別の話。
同時に上記「情報のジャンクフード大食」とも言えるネット上の芸能ニュースといった娯楽としてもほとんど意味のない情報の摂取は極力避けるようにしたい。
時間の無駄であると言う事だけでなく、結局自分の知りたい情報にだけ触れ、知らず知らずのうちに自分の考え方が浅はかになっている、裏を取ることを忘れている、客観的な視点を持つことの重要性を忘れている、といったことにもなりかねないから。
客観的な情報へのアクセスがほぼなかったローマ時代の大衆と、客観的な情報を得ようと思えばいつでも得られる現代に生きていながら同程度の知的レベルだとすると、それは現代に生きる自分自身の怠慢以外に原因はありえない。
- ではどうするのがよいか
考えられる手は以下。
- ネット上のくだらない芸能ニュース等を読まない
- 読書対象を取捨選択
- 読んだ本の内容について考える
- 娯楽として好きなものを見るのはOK
2について、どういった対象を選ぶのかを悩む必要はない。自分の興味がある分野を読めばよいと考えている。
3について、読書していればよいのではなく、「吟味すること」「考えること」がないことが危険。1冊の読書(インプット)につき、2時間の思索(アウトプット)ということから始めてみる。
4について、映画やドラマも考える材料として楽しめばよい。視聴後に「考え、思考の結果を残す」ことが重要。その際に、極力連想し、他の分野への広がりを自由に拡大していく。